愛の夢

ピアノの魔術師と称えられたフランツ・リスト。

中でも有名な「愛の夢 第3番」をUPしています。

はじめに、作曲までの道のりを生誕から辿っていきます。

 

1811年、ハンガリーの中でも隣国オーストリアにほど近い小村で生を受け、その神童ぶりは目覚ましいものがありました。

8歳で公開演奏を成功させ、その翌年には奨学金を得てウィーンの音楽院に入学、ツェルニーに師事。

更に天才ピアニストとしてヨーロッパ全土へと演奏の場を広げていきます。

 

しかし、15歳の時、父親が亡くなり母親とともにパリに本拠地を置いた生活が始まります。

その4年後、運命の出会いが!

「悪魔の化身」と言われた超絶技巧のヴァイオリンの鬼才ニコロ・パガニーニの演奏を聴くのです!

その魔力に聴衆は興奮し、魅了され、虜になるのですが、19歳のリストも「僕はピアノのパガニーニになるんだ!」と決意し、ヴィルトゥオーゾを極めて行くのでした。

優れた音楽家や文学者との親交も活動の刺激となり、活発な活動を続ける中、ヨーロッパ各地で名声は轟いていきます。

 

また、魅力的な容姿も相俟って、パリ社交界でも人気を博し、マリー・ダグー侯爵夫人との出会いは倫ならぬ恋へと発展していきます。

ピアノ組曲「巡礼の年」を生み出したスイス、イタリアでの日々も彼女と一緒でした。

その後、27歳でハンガリーへ凱旋帰国し、熱狂的な歓迎を受け、演奏旅行は続くのですが、華やかな生活の中でのモテモテぶりに、二人の関係は壊れてしまいます。

 

やがて、30歳代を迎えたリストはそれまでの多忙なスター・ピアニストとしての活動から作曲に専心しようと転換していきます。

夫と別居中のカロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人との出会い、彼女の進言もあり、35歳で多忙なピアニスト生活にピリオドを打ち、作曲家としての才能をより一層開花させていくのです。

 

1850年、39歳のリストは自身の歌曲のメロディーを元にピアノ曲「愛の夢~3つのノクターン」を作曲。

その第3番がことに人気があります。

原作の歌曲はその5年前に作曲されていて、フライリヒラートの詩は「おお、愛しうる限り愛せ!その時は来る。その時は来るのだ。汝が墓の前で嘆き悲しむその時が」で始まるように、甘い恋愛詩ではなく、深い人間愛を宗教観をもって描かれています。

ピアノ曲に改編すると、そこに豊かな装飾によって色彩感が増し、また新たな魅力も加味されたように感じます。