人にどう言われようとも 1

己の信じる道を切り拓いて行く…時に苦悩や迷いに苛まれることがあっても…。

それが芸術家であり続けることなのでしょう。

神童、天才と称された彼らも表現者としてある以上、他人との接点無しに成立しないので、その時々に様々なリアクションがあるのも当然ですね。

 

ショパンは、器楽であるピアノを声楽のように歌うようなレガートと繊細さで表現しようとしました。

(勿論そればかりでなく、新しいテクニックを駆使したピアニスティックな作品や激しい熱情をみなぎらせた楽曲も作曲していますが…)

モーツァルトもリストもラフマニノフもクラシックの作曲家は同時に優れたピアにストでもあることが多く、自作の曲を自身で演奏することが常で、ショパンもコンサートで披露しました。

 

その批評のひとつ。

「素晴しく卓越した才能には、未知の計り知れないものがある。その作品や演奏は独特で強い個性を感じ、天才のひらめきを感じる。ピアノのタッチは澄んでいるが、輝かしさが乏しく、拍子のアクセントが欠けている。」(19歳・ウィーンデビューでの演奏に対する評論)

ショパンも「僕の演奏は柔らかすぎる、音が弱い…と非難される。」と友人に話しています。

しかし、彼は独自の美意識を貫き、10数年後にリストは「彼がフランスに来てから10年、周りに溢れているピアニストの群れの中で優劣を競う事は皆無であった。此の上なく詩情に満ちた彼の才能は、そのようなものにはそぐわない。」と理解を示しています。

そして、数多い音楽家の中、淘汰され忘れられているものが多いのにも関らず、ショパンの音楽は今もなお脈々と受け継がれています。

 

華やかな作品も数多く残していますが、今回はワルツの中でも深淵な情感を湛えた傑作、op.34-2をUPしました。

ヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツのような舞踏性はここには見られず、踊るための音楽でなく、聴いて味わうために芸術的に昇華されたワルツです。